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そして劇団四季は「CATS」に出会うことになる。このミュージカルの上演がなければ今の劇団四季はなかった、という運命のミュージカルだ。浅利氏にそのときを振り返ってもらった。
「劇団が30周年目で、『CATS』に出会ったのです。すぐにこれだ、と思いました。『CATS』というのは、20年とか25年に一度出る作品です。これなら今まで一回も舞台を見たことがないようなお客さんも惹き付けられる、と思いました」
CATSはロンドンで始まり、ブロードウェイでも高い評価を得ていたので、上演権はかなり高額だった。その高いロイヤルティーを支払うにはロングラン公演が絶対条件だ。しかし、そのころ日本の劇場の契約は1、2ヶ月が限度。お客さんが入らなくなるまでやり続ける「ロングラン」などという概念がなかったので、長期で貸してくれる劇場はなかった。だったら自分で建ててしまえ、と、新宿に仮設劇場をつくってしまったのだ。当時、前稽古場への投資もあったので、大型投資を2つ抱えることになった。大きな借金をした浅利氏に対し、周囲は懐疑的だったという。ご自身は自信があったのですね、と尋ねたら、そうではなかったと、と笑いながら答えてくれた。
「30年、一生懸命に切符を売って歩いてきました。日本地図を見ると自分が切符を持って歩かなかった街はないな、というくらい色んなところに行きました。日本中で切符を売って歩くなんて、刑務所から出てきた人のゴムひもの押し売りみたいでしょう。それをやって暮らしてきたわけだから、これが駄目ならもう倒産して結構と思いました。30年充分やってきましたから、ここから先は乞食になってもいいやと」
しかし、浅利氏はこの賭けに勝った。CATSは大ヒットした。そして日本でもアメリカやイギリスと同じように、ロングランが可能であることを確信した。その後はご存知のとおり、子供ミュージカルでどさ回りをしながらつくった地方有力者とのコネクションや上演のノウハウを大いに生かしながら、次々と地方都市へ進出していくことになる。都市再生の波にも乗り、全国の商業施設から劇場誘致の声がかかるようになる。客を集める力がある劇団四季を商業施設に呼ぶことで、シャワー効果が狙えるという目論みだ。そうして浅利氏は、設計の段階から関わりながら、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌と9つの専用劇場を持つことになるのだ。
あとは、海外で評価を得た上質な作品を購入し、各都市の専用劇場で順番に上演して、最大限のリターンを追求していけばいいだけだ。長くやればやるほど、利益は増え続ける。こうして劇団四季は50年かけて、不可能と思われていた「演劇の拡大再生産」の仕組みを生み出したのだ。この手腕は見事としかいいようがない。
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