(2/4)
同じスラムでも、インドのスラムとはまったく違う、と感じた。
インドのスラムには極貧と絶望があった。アウトカーストとカテゴライズされた人生。不可触民、触れることを忌み嫌われる民、と呼ばれる屈辱。人間として最も低い扱いから、どんなに頑張っても逃れることができない諦めの地獄のなかで、地面を這うようにして生きていた人たちが、インドのスラムにはいた。その人たちは生きながら死んでいた。たくさんの悲しみをたたえた目をしていた。
しかし、ここはそれとは違う。ここには生きている人間がいる。暴力的ではあるが生きぬく力、があった。住人の服装は予想以上に小奇麗で、子供はスキップをして自分のバラックに帰っていく。これからテレビを見て、冷蔵庫からお菓子を出して食べるのか、そんなイメージが無理なく沸いてくる。若い男が上半身裸で、バラックの補修をやっている。仲間が集まってなにやらゲームに興じている風景もあった。
バラックの外観とそこで繰り広げられている生活とがちぐはぐなのだ。これはいったいなんだろうか。ファベーラのあちらこちらを見ながら答えを探していた時、「はっと」した。
バラックの二階、暗い窓の奥で、誰かがじっとこちらを見ている。
監視されているのだ。
このファベーラに来てから感じていた、なんともいえない異様な雰囲気の正体が、この真っ黒な目による強烈な視線だったことにようやく気がついた。
監視係がいるのか、と思い、視線を移すとこのファベーラには同じような窓がいくつもある。目を凝らしてみてみると、やはりそこにも真っ黒な視線があった。ああ、これは冗談ではすまされないな、と感じた。
ここでは部外者の侵入は許されない。というか、不可能だ。不審な行動を取る人間がいればなんのためらいもなく撃ち殺されると聞いた。あの視線はその種の人間だけがもつ、体温をまったく感じない視線だと納得した。
警察も恐れてファベーラの内部に立ち入ろうとはしない。わざわざ殺されに行きたいと思う人はいないからだ。ファベーラは無法地帯。住民はファベーラ内部のルールさえ守っていれば、なんでもありの世界になっている。この中では麻薬の取引も、銃の売買も、殺人もお咎めなしだ。
1・2・3・4・5・6・7・8/9・10・11・12/
13・14・15・16・17・18・19・20・21・22
バックナンバーへ
|