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そもそも日中間の氷の厚さが急速に増していったのが、小泉元首相の靖国参拝からであった。「私人としての参拝だ」と中国に対してまったく配慮を見せない小泉氏に対して、再三遺憾の意を唱えて来た中国政府だったが、まったく改めようとしない我慢に、中国政府も限界を超え、反日運動を煽動していった。
2005年5月、私は反日運動の直後の上海に居合わせることが出来た。上海到着後、直ちに破壊された日本領事館を見に行ったが、その姿は悲惨そのものであった。石やペンキが入ったビンが投げつけられ、建物の壁一面が傷つき汚れきっていた。凄まじい人数の公安が無表情で横一列にならんで、領事館の警備に当たっていたのが忘れられない。
その日の様子を上海駐在の知人に尋ねたところ、日本領事館や日本料理店を襲撃した中国人達は観光バスに乗って現れ、上海語ではない言葉を使っていたという。さらに暴動が一通り落ち着くと再びバスが現れ、それに乗って去っていった。その際に参加者にはミネラルウォーターが配られていたというような話だった。ようするにあの暴動は上海の民衆の怒りから自然発生的に起こったものではなく、すべて中国政府によって組織され仕組まれた暴動であったわけだ。
ところが、ここで中国政府に誤算があった。
中国政府は怒りを日本に向けて伝えたかったのだが、諸外国メディアが天安門事件を引き合いに出しながら、その暴動の様子を中国のリスクとして伝えたのだ。中国は暴力国家で、過去も今も何も変わっていないと。これまで「歴史問題」は中国、韓国、北朝鮮以外の国にとっては見て見ぬふりで、関係者同士、話し合ってうまく解決してくれというスタンスであった。
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