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講師紹介


内田裕子(うちだゆうこ)

玉川大学で演劇を専攻。卒業後、大和証券に入社。トレーダーとして、エクイティマーケットの第一線で現場を経験。その後、同社の社内TV放送「大和サテライト」のキャスターに抜擢され、広報部へ異動。マーケット情報番組や経営者との対談番組等へ多く出演する。その後、大和インベスターリレーションズで企業IRのコンサルティングを行う。
2000年、財部誠一事務所へ移籍。経済ジャーナリストとしての活動を始める。現在は単行本、雑誌、メルマガ等に精力的に寄稿しながら、TV、ラジオ、講演会でも活躍中。

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  ■第40回
「運用野郎」の横顔:村山甲三郎 その1
 
 
(7/9)

●銀行を退職することは誰にも理解されなかった
 村山氏は銀行をやめた理由をこのように話す。
「留学前までは銀行の支店長が一番偉かった。ところが本部に来てみると部長、役員があたりまえに歩いている。しかし、彼らに特別な魅力は感じなかった。頑張って、出世して、その先にあるのがこんな人生なんだ。そう思ったとたん、この銀行にいてもしょうがないなという気持ちになってしまったんです」
 転職が日常茶飯事となった今と、当時とでは時代状況がまるで違う。
ましてや大手都市銀行を辞めるなんて考えられない時代だった。だから辞めるといっても、再就職先をみつけることも簡単ではなかった。銀行界のなかでの横滑りも当時はありえなかったし、メーカーに入って仕事ができるかといったらそれでもできない。そうなると外資系金融機関以外に選択肢はなかった。大手都市銀行に籍をおき、黙ってエレベーターに乗っていれば安穏な人生が約束されたのに、村山氏は「ここは自分のいる場所ではない」といって辞めてしまった。
「銀行の仕事自体はすごく楽しかった、周りにいた人も良い人ばかりでした。でも続けられませんでした。自分にとって問題だったのは会社そのものの考え方。それが納得いかなかったのでここは自分のいるところではないと思いました。当時、銀行を辞めるなんてことは、悪い事でもしない限りはなかったこと。周りは理解してくれませんでした。転職先の面接でも、なんでそんなに良い銀行を辞めるんだと、聞かれるくらいでしたから」

 転職した先はゴールドマン・サックス。
今でこそ、泣く子も黙る金融業界の雄として、グローバルマーケットを牛耳っている巨大金融機関だが、村山氏が転職した当時は、日本ではまだ知名度も低く、発足間もなかった東京支店は従業員わずか20人の弱小組織であった。

 

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