■霧の館の住人
私が消費者相談室にいた頃、新宿の量販店を担当するベテランセールスがクレーム処理のヘルプを入れてきました。「どうにもらちが明かないんですよ。なんとか応援願えませんでしょうか」などと、気軽に言ってきました。
セールスの話によれば、問題のお客様は新宿の量販店で最新の一眼レフカメラと交換レンズなど一式30万円を購入したのですが、半月と経たないうちに「カメラのシャッター音がうるさくて使い物にならないから返す。引き取れ」 と、訳のわからないことを言ってきたのです。販売店も、カメラが悪いのなら返品も仕方が無いが、悪くも無いものをそう簡単には引き取れませんよと、突っぱねたところ、本人は、カメラ一式を店に置いていってしまったというのです。
セールスが持ち込んできた量販店の大きな紙袋には、機材と一緒にそのお客様が筆で認めた立派な手紙がついておりました。「貴社一眼レフカメラと交換レンズを購入しましたが、異常な露出不足で重要な写真が撮れませんでした。使用説明書に従って使用したにも関わらず満足な結果が得られなかった事は、このカメラは欠陥品であると思料されます。従いまして、本件事故によって私が被った物的、精神的損害に対して、貴社にはこれを賠償する責任があると考えます。よって、全品の引き取りを希望するものであります」
手紙は、おおよそ以上のような内容でしたが、これはセールスが言ってきた内容とはだいぶ違っております。どちらが正しいのか疑問に思いましたが、この時、相談室へ異動してきたばかりの室長が簡単にこの問題を引き受けてしまいました。
■顧客の事務所を訪問
室長のお供をして、世田谷の閑静な住宅街にある立派なマンションを訪ねたのは七月末のとても暑い日でした。そのマンションは「霧の館」という新築マンションでしたが、訪ねた事務所はその1階にあり、一部屋をまるごと事務所に使っていて、中に入ると、4、5人の社員がコンピュータに向って事務作業をしておりました。何の会社だったか忘れましたが、恐らくは会計事務所か当時はまだ珍しいソフト会社であったかと思われます。
玄関を入るとまず、靴を脱いで上がらせられ、「おじゃましまーす」などと言いながら事務所を通り抜けて、奥の和室に入りました。大きな床の間のある立派な和室でしたが、家具類は何もありません。出された籐の座蒲団に座って神妙に待っていると、事務の女性が大きなコップに氷がたっぷり入った麦茶を持ってきてくれました。汗をかいていた室長は直ぐに、出された麦茶をガブガブと飲みましたが、私は、何故か不安な雰囲気の中では、出された麦茶に手が出ませんでした。
暫く待たされたのち、クレームをつけた当人がおもむろに部屋に入ってきたのですが、年の頃は45、6歳。真黒な髪をポマードでテカテカに仕上げ、七三に分けています。そしてこの暑いのに黒のダブルでビシッと決めているのです。俳優で言うならちょっと苦味のきいた天地茂ばりのいい男です。出された名刺には「専務取締役」の肩書きが光っていました。
■紳士のクレーム
場馴れしていない相談室長がすっとんきょうな声で、 「お忙しいところをお邪魔しまして。なかなか良い所ですね。緑も多いですしねえ、えへへへ」などと口火を切るとこの専務 「いい所なんですがね、実はこの辺りは昔はお墓だったんですよ」「このビルを建てる時、丁度この部屋の下あたりから、たくさん仏様が出てきましてね。昔はみな土葬でしょう。ですからね。お坊さんを10人も呼んで拝んでもらったりして大変だったんですよ」「それでもね、仕事が遅くなってこの部屋で寝てますとね、なんか、こう、胸が苦しくなって来るんですよ。実際、夜遅くなると、な・る・ん・で・す・よ」「そうそう、ちょうどこの辺りにね、特攻隊で亡くなった方のお墓があってね、きっとその方が、この世に想いを残しているのじゃないかと、この間もお払いをしてもらったばかりなんですよ」などと、相談室長が座っている左脇の方を指差しながら本当に真面目な顔をして話している。
しかし、相談室長は昔、柔道をやっていたというだけあって、体格もまさに柔道向き。大きくがっちりとしているし、何が来ても驚かないような人でしたから、専務の怪しげな話を聞いても特に気にする様子もなく、出された麦茶をごくごくと音を立てて飲んでいました。
麦茶を飲みながら、室長は、「まあ、そういう話は、そちらへおいといて本題に入りましょうか?」というような感じで、「カメラのシャッター音が大きいって、一体どういうことなんですかね?カメラのシャッター音というのは、大体こんなものなんですけどね」と実に明るく切り出したのですが、この専務この次に、飛んでもない事を言い出すのです。
続きは次回をお楽しみに。
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