その日は朝から天気がよく、サービスセンターに来客が絶えることはありませんでしたが、年の頃は55〜56歳、私より少し上くらいかなと思われる男性がカウンターに張りつくようにして係長と話し込んでいました。
話の様子から、昨日ここでカメラを点検してもらったあと、大切なモデル撮影をしたら失敗して大損害だ、一体どうしてくれると言うことらしい。大声を出すわけでもないので、隣にいても何が起こっているのか解らないくらいなのですが、もう、だいぶ長いこと係長に食いついています。
■カメラの点検にやってきた“リストラマン”
そのお客様は昨日サービスセンターにやってきて、カメラの点検を受けました。その時、カメラにフィルムが入っていたので、担当者が「フィルムを抜いて下さい」と言ったのですが、「怖いからそっちで抜いてよ」と言って担当者にフィルムを抜かせました。
担当者はフィルムカウンターが12枚まで進んでいるのを確認し、フィルムを抜いて点検しました。カメラは全く異常ありませんでしたので、その旨お客様に説明し、抜いたフィルムと一緒にお返ししたのですが、「もったいないからフィルムを入れといてよ!」と言うので、担当者は、カメラにフィルムを再度入れなおし、2枚分余裕を見て空送りしてお客様にお返ししました。
この後お客様はモデル撮影会に参加して大切な写真を撮ったところ、出来上がった写真画面の端に太さ0.3ミリ、長さ10ミリくらいの黒い線が点検以後の画面全部に写りこんでしまっていると言うのです。
点検に出す前の10枚は大丈夫で、点検後の写真には全部写りこんでいるというのは、点検の時に何か失敗してカメラを壊したのだろ?内部の配線を引っ掛けたからそれが出てきて写ってしまったのだろう?と言っているのでした。
■髪の毛の影が写っている
見ると、プリントにもネガにも、どのコマにも同じ位置に黒い影が写りこんでいましたが、その正体は過去の経験から直ぐに解かりました。明らかに髪の毛です。決して配線コードなどではありません。それも、フィルムにごく近い位置にあったので、シャープな影として写っているのです。「お客さんに、『これは髪の毛です』と説明したら?『小さな髪の毛が入り混んで写ったんです』と」係長にアドバイスするのですが、相手はなかなか納得せずに頑張っています。「それなら、髪の毛をアパーチュア(写真が写る枠)に貼り付けて、一本フィルムを撮って、見本を作って見せてあげなよ」と指示をしました。直ぐに、メカニック担当者が短い髪の毛をセロテープでアパーチュアに貼り付けて撮影、簡易現像をしました。
まさしく、事故フィルムに写っている影と同じフィルムが出来ました。誰が見ても同じ形状です。髪の毛が写っていることに疑いはありません。しかし、お客様は納得せず、「本当に、これは影なの?実像じゃないの?そんなに簡単にわかるの?髪の毛だと断言できるの?」と引きずります。「こういう場合は、ちゃんと手続きが決まってんじゃないの?ISO9000のライセンスも貼ってるんだからさ、こういう時は、色々手続きとか、書類とかあって。決まっているはずだよ。簡単に言うけど、それ、会社としての回答なの?」などと、次々と質問を繰り返し、引き下がりません。そこで、私が応対することになったのですが、応接室でお話していると、品質保証にとても詳しくて、技術畑の仕事をされている方のようでした。
けれど、写りこんでいるのは髪の毛に間違いないこと。テスト撮影と比べて見ていただいても寸分違わないこと。これは時々起こる事故で我々は見慣れているから判断に間違いはないことを説明していきました。すると、お客様は、「それだけはっきり断言するなら、フィルムを入れる時にあの担当者の髪の毛が落ちて写ったのだから、損害は補償してもらわないと。髪の毛のDNAを調べればわかるんじゃないの?」などといやらしいことを言い出します。「いやあ、一眼レフカメラは、スキマだらけですから、小さな髪の毛が何処から、いつ入ったかなんて解りませんよ。シャッターを切るたびにミラーが上下して、うちわで扇いでいるようなものですし、写っていた髪の毛はもうどこかへ行っちゃいましたよ」と、突っぱねます。それでも、「所長さんそんなこと簡単に言えるの?」などと人をばかにしたような言い方をするので、こちらもカチン!ときて、「お客さん、そんなに大切な写真を撮るんでしたら、フィルムを他人に入れさせるのはおかしいですよ。ご自身で入れられるべきです」と強く言いました。
■話し相手を求めてやってきた
すると、気後れしたのか、しぶしぶ髪の毛と認めるのですが、話を聞いているうちに、実は、先月2000万円の優遇退職金をもらって一流会社を早期退職したとの事。会社で品質保証を担当していたからISO9000なんかはとても詳しいことなどを話し出しました。しかし、家にいても話し相手はなく、昔使ったカメラを引っ張り出してきて写真をはじめたら、こんな問題にぶつかったので、もう、鬼の首を取ったような気分でやってきたようでした。
結果はどうなったかといえば、お客様をむやみに押さえつけてもいけませんので「うちにも分析センターがありますから、黒いものは何なのか、検証させましょう」ということに話を持っていき、後日、分析レポートをきちっと作って説明し完全に了解をいただきました。
しかし、そのレポートを作るのには高い費用が掛かるのです。暇だからと言って絡まないで下さいね。
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