さて、私がこのビジネス道場での連載を始めて、早いもので半年が経過しました。前半3ヶ月間は実際に行われているものを解説し、後半はこれから起きるであろうことを解説してきました。
後半3ヶ月間のテーマである「近未来」とは5年先、10年先のことを述べているのではありません。もう今の段階でそうした傾向は起きていることです。私が専門としているDRM(ダイレクト・リレーションシップ・マーケティング)は、これまでのマーケティング理論を覆すものです。マーケティングを最初に学ぶ人ならば、マーケティングには4つの要素があるだとか、AIDMAだとか教わります。しかしDRMはそうした考え方はしません。4つの要素を語る前に、まずはダイアログ(顧客との対話)があるのだと。AIDMAのM(Memory 記憶)というのも、どうもピンと来ません。あえていうのであれば、AIDAS(Desireの後に、直ぐActionがあり、そしてその後にSatisfaction があるのだと)。
マスマーケティングにどっぷりと使っていた人たちほど、こうした考え方はとても奇異に映ります。しかし世の中の流れを止めることはできません。アドワーズ広告の方がマスメディアよりも効果があるだとか、広告を行わなくてもWEBサイト上でSEOをしっかりとやっていればお客さんがやってきたりします。こうした事象は元々広告会社にいた私にとってもショッキングなことです。顧客からのクレームを放置していたばかりに会社そのものの存在が危うくなっているニュースが毎日のように流れます。
すべてはダイアログ(顧客との対話)を重視するところから始まります。どんなに素晴らしい製品があったとしても、対話をしなければ、「だから?」と聞かれてしまいます。
しかしこうした考え方は決して新しいものではありません。むしろ、原点に回帰しているのだ、ということができます。
■富山の薬売りはDRMか単なるPOSか?
富山の薬売りについては、私がこの世界に入るころから、「あれこそデータベースを使った、ダイレクトマーケティングだ」「いやいや、あれはただ在庫の補充をしているのに過ぎないよ」という議論がありました。
富山市内から美しい立山連峰が見えます。私はその景色に圧倒されました。こんなに素晴らしい景色のところから、わざわざ江戸、東京にまで、いやいや彼らは北海道にも九州にも薬を売りに歩きました。JR富山駅の前を通る道を越えるとちょっとした広場があります。そこには売薬さん(置き薬を売り歩いた人たち)の銅像があります。私が富山を訪れたとき、地元の中学生がその銅像を拭いていました。
富山の置き薬は今でもあります。昔ながらのスタイルを貫いている人たちもまだまだ、全国に100人以上いると地元の方から聞きました。一方で、テレビCMをするほどの企業へと成長したものもあります。さすがに昔にように柳行李をかついでいるのではなくて、自動車でスーツを着た営業マンが置いていきます。これは確かにPOSでしょう。営業マンの方が健康相談にのるわけでもなさそうですし、ただ置き薬の箱の中をチェックするだけです。ところが、昔はどうも違っていたようなのです。
富山の売薬さんたちは懸場帳というものを持ち歩いていました。昭和のころになるとそれは「顧客台帳」という今風の言い方になるのですが、両者には記載する事項が異なります。前者、特に明治時代(富山の置き薬は江戸時代から始まりますが、記録は明治以降のものしか無いのだそうです)の懸場帳は薬の販売記録だけでなく、その家庭の家族構成まで記してあります。懸場帳は薬店主への報告書でもあったので、書くことに制限がありました。そのため、その他に売薬さんたちは顧客の様子を記録したものを持ち歩いていたという説もあるそうです。そして後者はただ単に顧客名(それも世帯主)と販売記録があるだけでした。
明治のころ、売薬さんたちは健康相談まで乗っていたそうですし、場合によっては顧客の結婚式にまで出たりしたそうです。贔屓先には紙風船のほか、歌舞伎などの版画、九谷焼などのお椀をプレゼントしていたりもしたそうです。これらはDRMの世界ではオファーといいます。
元々薬を買うことのできる人たちが裕福な人たちに限られていたからでしょう。また、明治のころは薬屋さんだってそうそうあったわけではないです。日本国内の人口も少なかったです。とにかくひとりひとりと接することを大切にしたそうです。
しかし私たちの記憶に残るころにはもう薬屋さんはいたるところにありますし、今ではドラッグストアといえば深夜まで営業をしているところだってあります。それより以前に売薬さんたちも売り先が多くなれば当然ひとりひとり接している時間は少なくなります。顧客の家庭へ訪れても置き薬の中を補充するのが精一杯になります。要するにPOSなわけです。
■大量生産時代は通過点として必要なものだった
明治のころの、売薬さんたちの行動を見てみると、DRMとほとんど代わりが無いことが分かります。
元々商売の世界では富山の薬売りに限らず、顧客の求めるものに応じる光景は当たり前のことでした。呉服屋にいけば…、いやいやもっと身近なところで、化粧品の対面販売、魚屋さんに行けばやはりワントゥワンの対応がなされています。
ただそういう光景と今求められているものとが違うのは、顧客数です。明治時代は人口そのものが少なかったですし、購買力を持った人たちの数はなおさら少なかったわけです。魚屋さんにしても相手にしている顧客数はとても少ないです。しかし今、人口は明治初期の約3倍もありますし、さらに購買力を持った人たちがたくさんいます。
目が肥えてしまっているし、食べるにも困るわけでもないので、人々は「自分に必要なものが欲しい」というようになってきました。そしてコンピュータの性能が飛躍的に伸びたことから、大量に、かつ、ひとりひとりにという矛盾を克服する術を私たちは持ってしまいました。だからデータベースというものが重宝がられます。多くの場合は先にデータベースから考えられてしまうので、話がおかしくなるのですが、しかし、大量処理をする、先にデータベースを作ってしまう、といっ過程がなければ、これから私たちがやろうとすることは出来ませんでした。
富山の薬売りの懸場帳を今でいうデータベースとするのなら、それ以前に、顧客とのやり取り、まさにダイアログがあってはじめてデータベースを駆使することができるのです。
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